いろどりの囁き

何か書き残していきたいから。

blank space。

時間に余裕がある
という言い方もあれば、
時間の使い方が上手くなくて
余白がありすぎる
という言い方もあって。
ガチガチに仕事や予定をつめる必要はないけど
変に時間が空いてしまうと
余計なことを考え過ぎてしまう。

新しい土地を耕して
周りが植えたことのない食べ物を作るのは
地道な作業と時間が必要になると分かっていたつもりだけど
やっぱり焦って気持ちだけが先走ってしまう。
そのくせ、責任を持つことに逃げ腰になっている。

感情のコントロールが上手くできていないと
何かや誰かに頼り過ぎてしまったりして
無意識のうちに逃げようとしている自分が嫌いだな。

う〜ん、悶々。笑

見えない敵。

コロナウイルスという見えない敵が
これほど世界を騒がせるとは
今年が始まった頃には考えてなかったね。

トムハンクス夫妻の陽性にも驚いたけど
志村けんの訃報はショックすぎる。
rest in peace...

外から見ると今の対策が通用しているとは思えなくて
毎日変わり行く状況と共に変わらない対策に
不満やら不安やら焦りを感じてしまう。
ただ、中の人間にしか分からないことも多々あるだろうし
中にいるからこそ身動きができない状態でもあるのだろう。
医療、経済、人権。色々な視点を考慮した上で
大きな決断を下すことに慎重になる心理も理解はできる。

だけど・・・・

早期解決という時期は過ぎてしまったからこそ
もう少し、計画性があるというか
国民をまとめるリーダーシップがわかる動きを
見せて欲しいと思うのは要求しすぎなのだろうか。

良くも悪くもメディアは対策に対して色々言っていて
その意見の中には考慮に値するものもあるから、
「それは無理だ」という前に「本当に無理なのか?」と
考えいる人が中にはいて欲しいと願うばかりである。

制度や今の状況に文句を言い続けることはできるけど
まずは自分ができることをやろう。
というわけで、テレワーク中。

個人、家族、地域、企業、都道府県、国。
そうやって違うレベルでお互いができることを
他人事と思わずにやるのが今一番必要なんだろうな。

transition。

生きてます、生きてます。



色々言葉にしなくちゃいけないことはあるけど、
もうちょっと待って(誰に言ってるんだ)

幼い自分。

先月、友人と東京駅近辺で夕食を食べたのだけど
レストランですごく違和感を感じている自分がいて
それはどういう事かと考えたら、
「社会人」に混じって食事をしている事に
居心地の悪さを感じているのだと気がついた。

自分がスーツを着ている着ていないの話ではなく
会社帰りの「大人」に混じって入ることに違和感を感じて。
でも、年齢的には私が東京駅のレストランで食事をするのは
全く違和感の無い話。
むしろ、「大人」と思っている人の中に
同世代も沢山いるのだろう。

そんな事を考えて気がついたのだけど、
ティーンの時に日本を離れた私は
大人になって帰ってはきたけれど
「日本にいる自分」は幼いまま時が止まっている。
違和感の正体はそんな「10代の自分」が
「大人」に混じっているような錯覚から来たもの。

そう思うと、私の中で凄く大人な自分と
結構幼い自分の両方が存在していて
日常生活では幼くて甘ったれな自分の方が
強く出てしまっているのかもしれない。

子に帰る。

この時期に抱負なんて遅いかもしれないけど。。

去年の前半は色々苦しい時期で、
職場の環境に幻滅したり、
自分が直せないものに心を痛めて
自分を擦り減らしていたと思う。
去年の前からあったイザコザの影響もあって
自分に自信が持てなかったし。

そして、後半に入って、
「久しぶり」と一言で片付けられないほど
長い年月を経て母国に帰ってきた。
安心感からか、今まで頑張りすぎた反動で、
やる気ゼロのプー太郎。
笑っちゃうぐらい昼寝が必要だった。

そんな中、ご縁のお陰もあって
歯車がゆっくり動き出して、
自分の今後の活動目標が
漠然とした夢物語から形になりつつある。

レールの上を上手に歩くのが得意だった私は
いつのまにか藪漕ぎをするようになり、
人の縁に助けられながら、
道を作ろうと奮闘している。

今年は「解放」の年なんじゃないかな。
狭い世界にいた自分を、
一人で頑張っていた自分を、
自信が持てない自分を。
いろんな自分を解放してあげて
新しい刺激を受けながら
根本は今までの自分でありながら
それでも、今までとは違った自分に
出会えるんじゃ無いかという
ワクワク感がある。

日々の生活で疲れてしまって
長いこと感じられなかったこのワクワク感。
自分らしさが戻りつつある。


今年も細々と続けていくので
どうぞよろしくお願いします。